〜終わり〜
■ぜひアンケートにご協力下さい■
ここでは、これまでの永久磁石発展の歴史について解説する。
例えば、永久磁石の実験で、針を磁化させるために棒磁石で摩擦してから紙切れに刺し水面に落とすと、針はゆるやかに回転し水面上で南北方向を指して静止する。これは昔からやっていた実験である(第1図)。
つまり、地球の持っている地磁気に水に浮いた磁針が引かれたためで、何度やり直しても水面上で同じ方向を向いてしまうことになる。
この単純な実験の意味するものは、磁石を方位センサとして使ったことになる。磁石の発見を人類の歴史から考えると紀元前ほどさかのぼることになるが、この実験を鉄心を着磁して羅針盤
(コンパス)として使用する技術の発見の賜物と考えると、現代に近づいてくる。
更に現代ではネオジム磁石を使って、昔は容易でなかった次のような実験を試すことが可能になった。アルミのパイプ、パチンコの玉、球形ネオジム磁石、一円玉を用意するだけでよい。(注)ネオジム磁石については後述する。
まず、アルミのパイプにパチンコ玉を入れて落とすと、すとんと落ちるが、ネオジム磁石の場合には、パイプに入れても落ちるのに数秒もかかってしまう。 また、一円玉を水面に浮かべてから、ネオジム磁石を一円玉に近づけて回すと、一円玉はくるくる回り出す(第2、3図)。
これらの実験はいずれも文面では説明しにくいレンツの法則の理解を容易にする実験であるが、これも強い磁界をもつ磁石の出現のおかげである。
アルベルト・アインシュタイン(1879〜1955年)が67才のとき書いた自伝の中に、南ドイツの古い町ウルムで、彼が5才のとき病気で寝ていた折、父親から慰めにもらった磁針が非常にうれしくて、そのときの驚きの気持ちは生涯忘れられなかったことを述べている。子供のアインシュタインをこのように驚かせた磁石も今ではごく簡単に手に入るが、そもそも磁石はいつごろ発見されたのだろうか。一説には、紀元前数百年ごろ古代ギリシャのマグネシアと呼ばれる地方で鉄を引き付ける石が発見されたと伝えられている。この鉱物は天然に磁化された磁鉄鉱(magnetite : Fe3O4 )であり、人類が最初に出会った磁性体である。永久磁石のマグネットは、このマグネシアに由来しているともいわれている。また、一説にはやはり紀元前、古く中国の慈州が磁鉄鉱の産地であったため、これを利用したのが人類最初の磁石であるともいわれている。この鉱石を慈石と呼んでいたことから磁石の語源になったとも伝わっている。
鉄を主成分として含む鉱物はたくさんあるが、主なものは磁鉄鉱(Fe3O4 )、赤鉄鉱(Fe2O3 )、褐鉄鉱(2Fe2O3・3H2O )などである。しかし、磁鉄鉱は磁石に吸い付くが、赤鉄鉱や褐鉄鉱は磁石には吸い付かない。どちらも鉄の酸化物でありながら鉄の原子と酸素の原子の結び付き方によって、磁性をもったり、もたなかったりしてしまうのである。したがって、物質の磁気的性質もそのものにたくさん鉄が含まれていれば強くなるとはいえないのである。
そのため、磁石の研究に携わってきた科学者は今日まで、いろいろな種類の元素を鉄に配合させて原子の並び方を変えて、より強い磁石の発見に努めてきたのである。
時代は進み15世紀になって、学問的に磁石を解明しようと試みたのは、イギリスのギルバート(1540〜1603年)である。ギルバートが発見した最大のものは地磁気の発見である。この着想
は、船乗りたちの経験に基づいたもので、船が北に近づくにつれ磁針が下に向くという事実を知ったことである。この事実を確認するために、ギルバートは子供の頭ほどの磁鉄鉱を球形につくり、地球の模型をかたどって、小さい磁針を用いて磁界の様子を調べたという。1600年、ギルバートが彼の著書「磁石」の中で地磁気のことを説明して以来、地理学者や物理学者たちは地磁気の存在を知ることとなり、やがてドイツのフンボルト(1769〜1859年)は各地で地磁気の強さの測定記録を残すまでになった。
我が国では、西南戦争(西南の役)がおさまった翌年の1878年(明治11年)にイギリスから一人の若い教授が東京大学に赴任してきた。当時23才のユーイングである。
ユーイングは数々の優れた研究をものにしており、特に磁気ではヒステリシス現象を命名した世界の磁気研究の父ともいうべき人物であった。当時、彼は若さをみなぎらせて学生とともに学び実験し、学究の徒を育て上げた。その後、一世紀以上にわたって日本が磁気研究において世界をリードするようになった源はここに発していたといえる。
20世紀が近づくころになると、安定な磁界をつくる永久磁石の必要性がしだいに高まってきた。例えば、ガルバノメータ(検流計)用や小型電磁機器の可搬性の要求にこたえられる磁石への要望が生じてきた。
はじめに人工的に新合金による永久磁石の発明者として世界の学会の目をみはらせたのは、1917年(大正6年)本多光太郎のKS鋼である。
本多光太郎(1870〜1954年)によるKS鋼の発見は、現代に至る永久磁石の源流であり、磁石の歴史を語るうえで欠かせない業績である。しかし、この成果は先に述べたユーイングの来日に端を発していることは事実である。ユーイングは電気磁気学、磁性材料学を、はじめて我が国に紹介指導し、その指導を受けた長岡半太郎、そして長岡半太郎から本多光太郎へと学問研究が引き継がれていったからである。
KS鋼磁石は大きな保磁力をもった磁石であり、その成分配合は炭素0.8〜1.0%、コバルト30〜40%、クロム1.5〜3%、タングステン5〜9%、残りが鉄というものであった。永久磁石として望ましいことは、ヒステリシス曲線で残留磁化が大きいことであるが、それとともに保磁力が大きいことが必要である。ヒステリシス曲線は磁性体が過去に磁界によって受けた磁化が消失せずに残っていることであり、永久磁石はこの性質を利用したものである。したがって、永久磁石にする磁性材料はヒステリシス曲線の幅が広く、またこれが縦軸を切る点が高いほうが良い(第4図)。第4図でS点の縦座標H= 0 のときに残留する磁化を残留磁化と称する。
本多光太郎が開発した当時の「新合金」の発明は、徹底した実験主義によるものであり、可能性のあるすべての組み合わせ組成のテストピース(試験片)をたくさんつくって、片っぱしから熱処理し、ヒステリシス曲線を測定していき、しだいに的を狭めていく方法であったが、この方式はその後の数々の発明を導いた基本的手法でもあった。
彼のモットーの「人間はねばりだ、努力だ」という精神がKS鋼の発見を生んだことは注目に値する。
本多光太郎が東京大学の学生時代のエピソードにこんな話が伝わっている。彼は毎晩、実験室で夜半過ぎまで研究を行い、帰るころには門が閉まっているので、そのつど守衛さんに門を開けてもらうため、守衛さんを起こしに行った。あまり度々なので守衛さんも、ある晩つい「塀を乗り越えて帰ってください」と彼に告げたそうである。そうしたら本多光太郎は「何時であろうと門を開ける仕事は守衛の勤めであるから、勤めをきちんと果たしてほしい」と答えたという。
その後も長く研究を重ね、組成を更に組み替えて1933年(昭和8年)には、最初のKS鋼の4倍近い保磁力をもつ新KS鋼を発明し、その功績で文化勲章を受賞している。KS鋼の命名は彼の研究所に研究費を寄付した住友吉左衛門の名前(頭文字)をとって付けたものである。当時KS鋼はドイツのシーメンス・ハルスケ社、アメリカのウェスチングハウス社から特許使用許可を申し出てきたほど画期的なものであった。
1931年、MK磁石が東京大学の三島徳七により開発された。この磁石は保磁力がKS鋼の2〜3倍あり、磁気的に安定でコバルトを含まない安価な磁石として工業生産された。中心となる組成は鉄、アルミニウム、ニッケル、銅などである。名称のMKは本人と縁のある三島家(養子先)と喜住家(実家)から命名されたといわれる。1933年の本多光太郎等の新KS鋼は、このMK鋼にコバルトやチタンを含ませたことが特徴になっており、MK鋼の約1.5倍の保磁力を有していた。MK鋼や新KS鋼の高磁気特性は、更にその後のアルニコ磁石の誕生の礎(いしずえ)となった。このアルニコ磁石の名称は組成成分の鉄に対する添加物がアルミニウム、ニッケル、コバルトの読みを重ねたものである。コバルト量の多いアルニコ磁石の効果が確認された結果、1940年ごろ、アメ
リカのGE社から商品名Alnico5(ジョナスの発明)が工業生産された。このアルニコ磁石の組成はアルミニウム8%、ニッケル14%、コバルト24%、銅3%、残りが鉄である。
その後更に改良が進み、1957年ごろにオランダのフィリップ社からAlnico8が登場することになるが、なんといっても本多光太郎の新KS鋼がアルニコ磁石の元祖とされる所以は、これらが保磁力を高めるために、チタンと多量のコバルトを添加していることである。
さて、歴史的に永久磁石の流れを追ってみるとやや戻ることになるが、1937年(昭和12年)東京工業大学の加藤与五郎、武井 武両教授が発明した世界最初の酸化物磁石(フェライト磁石)に注目しなければならない。このフェライト磁石というのは、酸化物磁性材料を用いたもので、原料は酸化鉄、酸化亜鉛、酸化ニッケル、酸化マンガンなどを使用している。今までの永久磁石の材料は鉄、コバルト、ニッケルという強磁性体金属を主成分とするのが常識で、いわゆる鉄合金というイメージであったが、これらの常識を破った磁石ができたことになる。フェライト磁石は鉄やコバルトの酸化物を焼き固めてつくったもので、茶碗や皿などの陶器の仲間であり、一見すると「黒い瀬戸物磁石」という感じがする。そのためドライバなどでつつくと欠けるようなもろい面ももっている。ともかくこのような組成をもっているフェライト磁石は、強磁性体金属とはヒステリシス曲線も異なっている(第5図)。第5図で示すようにフェライト磁石は残留磁化(B1)が小さい代わりに、保磁力(OH2)が大きい。強磁性体金属は残留磁化(B2)が大きい代わりに保磁力(OH1)は小さい。
このことは何を意味しているかというと、従来の永久磁石は、大きな磁束を蓄える代わりに反対の磁性が近づくと、その影響を受けやすく、もっている磁性が乱されやすく、そのため接近した状態でN極とS極をつくることは無理である。ところが、フェライト磁石のほうは保磁力が大きく、反対の磁性が近づいても磁性が乱されることが少なく、長く磁性を保てるので、平たい板の表と裏にN極とS極をつくることも可能である。フェライト磁石は残留磁化をカバーする対策ができれば大変有力な磁性材料となる(例 画鋲磁石など)。
1960年代に入ると、希土類元素を用いた磁石の優れた性能が注目され出した。希土類磁石とは、周期律表の下段番外に記載されている希土類金属とコバルトや鉄との金属化合物を主成分とする磁石のことである。
(注)希土類金属にはサマリウム(Sm )ネオジム(Nd )などがある。
現在、ネオジム磁石と呼ばれているものはネオジム(Nd )、鉄(Fe )、ボロン(B)を主成分とするもので、世界中で研究開発が継続されている中で、1983年当時の住友特殊金属の佐川眞人によって発明されたものであり、世界的にもセンセーションを呼んだ。
ネオジム磁石(N d・Fe・B 磁石)の発表以後、その生産量の伸びは驚異的となり、1985年には100 t を超えており、その後も生産量は増えつづけており、はじめに示したような電子機器、医療器具など各種産業面で使われている。
(注)ネオジム磁石は強力な磁力をもち、硬度や機械的な強さに優れている反面さびやすいという短所もあるため、表面処理(めっき)されているものがある。1章で実験に使用したものはこの処理を施した球形のものである。